#4 西園寺的キャリア設計

仕事で病んでいる人間の理由は、大きく分けて5つあると思います。

  1. やりたいこともできることもない (動機と能力の不在、見識・知見・情報不足)
  2. やりたいことはあるけれど、できることじゃない (能力の不在)
  3. やりたいことじゃないけど、できることをやっている (動機の不在)
  4. ポジション的に稼ぎに限界があるなどの問題 (構造の問題)
  5. 仕事として成立しない、仕事にならない (需要の不在)

 

私は、「4」と「5」について、極めて価値ある知見・経験を持っていると自負しており、この領域について面白い情報を配信しています。しかし、「1」「2」「3」は極めて属人的な領域であり、個々人の問題です。

どの方向性に行くにしろ、動機と能力については自分で掘らないとダメです。

後述しますが、動機は「内発的動機」と「外発的動機」があり、キー要素になるのは内発的動機です。また、能力についても教育などで身に付いた知識・技術などの後天的要素も大事ですが、「先天的要素」はそれ以上に重要です。

(動かしようのない要素だからですね。)

 

さて。

  • 今の仕事の給料が不満、稼げない
  • 今の仕事は給料も良くて稼ぎもいいけれど、何かモヤモヤする
  • 今の仕事をやっていて、燃え尽き症候群のようになっている
  • 何をしたいのかがわからない
  • 自分の人生、仕事はこれでいいのかという気がする
  • 今は満足だけれど将来が不安

仕事に関する良くある悩みは、「動機」、「能力」、「構造」、「需要」といった要素で考えていくことができると思います。

 

好きなことは仕事にするべきではない、仕事は辛いものだ、お給料は我慢料だ、なんてことはよく言われます。

しかし、果たしてそれは本当でしょうか?

仕事というのは、10代の視点、20代の視点、30代の視点、40代の視点、50代の視点、60代の視点、70代の視点、80代の視点・・・・と、年代により色々異なります。基本的に、仕事については年代(または職位等)によって言うことが異なるものです。

そもそも、仕事に関する意見や情報について、世の中で見聞きする内容の多くはポジショントークや個人的見解、建前などが多く存在するので注意が必要でしょう。

 

世代によって、「職業観」は、結構違っていたりしますが、これは単純に、「時代の違い」として一蹴することはできません。仕事に対して、どの程度の時間感覚で捉えるかによって、見方が変わってくるのは当然です。

仕事と長く付き合えば、失業したり、左遷させられたり、プライベートを潰しすぎて後悔したり、、、、といろんなことがあるものです。

道のりが長ければ長くなるほど、捉え方は変わります。

 

出世している人(要するにその組織で長く生き残った人)、年寄りほど、

  • 心身の健康が一番大事、無理のない仕事をしなさい
  • 続けられる仕事が一番です
  • 好きなこと、心惹かれることをやりなさい
  • 働きすぎるな
  • お金は後から付いてくる

という、一見、「綺麗事的なこと」を言ったりします。これはワケがあると思います。一抹の真理なのです。

 

案外、年寄りや中高年で出世している人は「好きなことを仕事にしよう論(要するに、経済性や能力面をある程度、無視する考え方)」をそれほど否定しません。特に若者に対して、そういうことを語るときは尚更そうですね。

それはなぜかというと、

  • 能力は動機の上に成り立つ
  • 仕事を長く続けるのにはやる気が必要である
  • 自分のモチベーションが保てない仕事を続けているとどこかで燃え尽き症候群になる
  • 仕事は10〜30代の間だけやるものではない
  • そもそも何事も続けられないと意味がない
  • 続けてこそ仕事、自己研鑽し続けてこそ仕事、能力を習得してこそ仕事であるとするならば、続けられることが大事であり、続けられるためには「仕事が嫌い」ではやっていけない
  • 心身を壊してしまえば元も子もない

というように、奥行きがある視点をベースにしているからではないでしょうか。

「良い大学を出たら良い人生が送れるから」と親に発破をかけられ、がむしゃらに大学受験まで頑張り、社会人年代になって燃え尽き症候群になって失墜している人、たくさんいます。

たくさん儲けられそうだからという理由で、自分の性質に合わない高給業界に飛び込み、毎日数字に追われる中で仕事のやりがいどころか生きがいまで喪失し、鬱っぽくなっている人たくさんいます。

 

・・・・かといって、「好きなことだけやっていればOK」というのも、これまた疑問符がつく考え方ではありましょう。経済性を無視すると色々辛いですね。自分が好きなことをやっていても、そこに能力やセンスがついてこなければまた、別問題です。

ただ、10年、20年単位で取り組むことを前提にするのなら、話は変わってきたりします。継続は力なりの教訓、一万時間の法則は侮れないのです。何事も、数十年取り組んでいたら突出するという面は否定できなかったりする。何事も早くスタートして、他者よりコツコツと長く続けることで、圧倒的な優位性を保てたりするものです。このパターンで成功した人は、この威力をよくわかっているので、「好きなことをやりなさい」「継続しなさい」「諦めずに頑張りなさい」と言ったりするわけです。同じ「仕事」という営みについて、3年スパンで捉えている人もいれば、30年スパンで捉えている人もいるわけで、言い分が同じなわけありませんね。

 

若いうちは、

  • 仕事を得ること
  • 稼ぐこと
  • 多く稼ぐこと
  • とにかく登りつめること
  • ちやほやされる状態になること

などに焦点を当てがちです(若ければ若いほど、金と女について短期的な視点しか持てないのは当然の事だと思います)。

若いうちから、気力・体力・学習力を失うようになる未来の事まで考えられている人は少数派では無いでしょうか。

 

長い視点を持って考えてみると、景色は変わります。「継続」とか「出口」という視点が入ってくると、視野が変わってくるものです。物事について、「継続性」と「出口」の視点を踏まえて考えることができるのは、一定の年齢以上になった大人の「いいところ」でもあり「悪いところ」でもあります。

(例えば、ユーチューバーとしてサラリーマンの生涯賃金を軽く稼ぐようになった人なんかは、大人みたいに後先考えなかったからこそ、でしょう。それが良いか悪いかはわかりません。)

 

大人になると、成功しているのに悩んでいる人とか、結構います。

  • 高給なのに悩んでいる
  • 高学歴なのに悩んでいる
  • 華型の仕事についているのに悩んでいる
  • お金持ちになのに悩んでいる

とか言う人が結構いる。

 

ピーター・ドラッカーもその一人でした。若かりし頃の彼は、1930年代にロンドンの投資銀行で働き、順風満帆でした。自分の強みを活かし、お金も稼ぎ、輝かしいキャリアを築いていたのですが、

「う〜ん、なんか違ぇ」

ってな感じで悩んでいたのです。あのドラッカーも悩んでいたのです。仕事にやりがいや意義を見出せなかったのです。

結局彼は、大恐慌の最中、他に職があるという目当てもないのに、仕事を辞めます。そして、それについて正しい行動だったと振り返っています。

 

キャリアについて言えるのは、「成功のダークサイド」があるということです。

できること、上手なこと、得意なこと、周りから賞賛されること、報酬が付いてくる仕事・・・・というのは、どんどんどっぷりハマっていきます。

しかし、無意識のうちにどんどんとストレスが溜まって、ある時点で無理が爆発するのです。

 

人間の身体は不思議なものです。

性欲にしろなんにしろそうですが、無理にフラストレーションやストレスを溜め込むと、どこかの段階で限界が来て、暴発するものです。

場合によっては燃え尽き症候群、廃人的になってしまうことがあります。

 

いくら稼げたとしても、いくらチヤホヤされる仕事でも、いくら華型であっても、それなりにダークサイドはあるんですよね。

 

私は、若い頃から「40代〜50代」ぐらいで心身を壊してたり、失墜してたり、絶望的になっているような大人を見る機会がありました。

実は、その年代でそういう感じになっている人って、若い頃は結構、良いコース歩んでたみたいな人多いんですよね。順風満帆の人生だった、みたいな。

(ホームレスとかも、元々、輝かしいキャリア歩んでた人とか結構いますから)

 

40〜50でいい感じに仕上がるって、結構難しいことで。

 

 

自分の親を見てても思いましたけどね。

 

正直、人生ってめちゃめちゃ長いですよ。

長すぎるってぐらい、長い。

だから長期的展望って大事だと思います。

 

ほんと、無駄に長い。

個人的には自分の寿命に関しては、30年〜35年で十分だと思っているんですけど、ほんと、人間の寿命って長い。

大変だ。人生は。

 

さて。

やりたいことをやっていると、時間を忘れて没頭してしまうような現象が起こるものです。だから、好きなこととか続けられることというのは侮れない

続けられますもんね。

ウサギとカメではないですけれど、短期的な視野だけではわからないことって、沢山あります。

 

ウサギのようにピュンと飛び出しても、途中で息切れしたり止まってしまうことはあります。長い目で見ればカメに負けるなんてことはザラにあります。

「人間万事塞翁が馬」の法則は各所で当てはまります。

どの時間軸で捉えるのか、によって良し悪しは変わります。

絶対的な正解というのを導き出すのが難しい理由も大部分はここにあるでしょう。

 

戦後、日本が焼け野原から復興する際には、

「物質的に豊かになること」

を目指してみんなが頑張りました。また、右肩上がりの将来が描けました。

 

今、その当時の日本と同じことが、新興諸外国でも起こっていると言えます。右肩上がりでグイグイのステージ。

このステージにおける人間心理というのは、「とにかく稼ごう、とにかく豊かになろう」という動機です。

 

しかし、今の日本のように成熟した経済の下では、なかなか、「お金だけを動機」にして頑張るのは難しいと感じる人が増えているはずです。要するに、そんなにハングリー精神が無いわけです。食うに困る時代でもありません。

貧しい国だと、

  • とりあえず飯を食おう
  • とりあえず安全な場所に住もう
  • とりあえず快適に寝られるようになりたい
  • 食のレベルをもう少しマシにしたい
  • もっと衛生環境が良いところで暮らしたい

という動機で、めちゃめちゃ頑張ることができます。

こういう人たちに、例えば文明の利器であるネット環境などを与え、教科書や本などを渡してしまえば豊かさのために猛烈に勉強をするでしょう。そしてものすごいやる気を持って働くでしょう。

こういうモチベーションを、日本の人はなかなか持てないし、彼らと競争しても勝ちづらいというわけですね。

 

だから、今の日本で、

  • 働く意欲が見出せない
  • 何の仕事をしていいのかわからない
  • そもそもなんで働くの?
  • 仕事にやりがいが持てない

というような気持ちを抱くのは、仕方が無いことと言えます。

右肩上がりの将来を描きづらいし、すでにそこそこ豊かだし、ハングリー精神は無いし、テキトーにやっていても飯は食えるし・・・・って感じだからですね。

 

働くモチベーションを保ちづらい。

働くモチベーションを維持するコストが高くなっている。

そんなご時世です。

 

なので、「そういう事情」も相まって、なかなか、お金のためにガムシャラになれる人は少ない。ましてや、そこそこ豊かな家庭で育ってきた人、自分以外の人が稼いできたお金で豊かさを享受してきた人、底に落ちたことが無い人、貧乏を知らない人とかは、尚更、お金にフォーカスして働くことができない。

  • 出自が貧乏だったり、低学歴だったりして選択肢が少なかった
  • 極貧生活を味わったことがある、底に落ちたことがある
  • 元々人生、詰みかけていた
  • 昔からそんなにお金がある生活を体験してこなかった
  • ブラック労働をしていた

という人ほど、「ビジネスチャンス」があるとガムシャラに頑張れたりしますね。モチベーションがありますから。稼ぐということに対して、熱意がありますから。

ハングリーさがある。

 

案外、ポテンシャルがある人、そこそこの豊かさを享受して育ってきた人の方が辛いかもしれません。

ポテンシャルがある人は、選択肢が多いです。可能性があります。なのですごく迷います。悩みが深くなりがちです。道がたくさんあるのです。

また、そこそこの豊かさを享受してきた人は、仕事に取り組む動機という面ですごく苦労します(元々うまくいっていた人が、転落すると苦労するのはそういう理由です。動機を見出すのも難しいし、プライドが高くなってしまっているからです)。

 

さて。

ここで、ちょっと、動機について考えてみましょう。

 

動機というのは、

  1. 内発的動機 (自己満足、自己実現、達成感、成長の実感など)
  2. 外発的動機 (金、昇進、表彰など)

の2つがあると言えます。

内発的動機というのは、「それが1円にもならない仕事であってもやるか?」という問いに対して「YES」と答えられるものです。

基本的に、外発的動機だけでのキャリアは不幸になりやすいと言われています。やらされている感、時間の切り売り感を感じやすく、常に、今より高い報酬・肩書きを求めて、不満が途絶えない人生。終わりのない不満の連鎖を続ける人生を送りやすい。

 

金にならなくてもやってしまうこと、むしろ金を払ってでもやってしまうことって何だろうと考えてみると良いかもしれませんね。

自分のモチベーションの源泉が見えてくるかもしれません。

 

とはいえ、案外こういうものは働いてみないとわからないものだと思います。

20代後半までに自分の中にある動機をハッキリとさせて、遅くとも30歳ぐらいまでに自分が登りたい山を漠然と決めることができると良いのではないでしょうか。

 

 

個人的な経験から言わせると、

  • 苦境
  • ハードな体験
  • 嫌なこと
  • 土壇場

みたいなシーンの方が、自分のモチベーションの源泉って見えやすかったりします。

あと、人生、とにもかくにも行動なので、過去自分が「思ったこと」じゃなくて「やったこと」を自己分析をすると良いですね。

結局、人ってやりたいことはやりますからね。結局、やる。

やらないことはやりたくないことなわけです。

 

だから、過去やってきたことを分析すると一番良いのかもしれない。

 

よく、ドラマのラブストーリーとかで、好きな人が他の人と結婚してしまうとか、海外に行ってしまうっていう土壇場のシーンで、主人公が悩んで悩んで悩み抜いて、気が変わって、時間ギリギリでダッシュしてその人のところに向かう・・・・・ってのありますよね。

人間の本音って、ああいう時に出ます。

案外、体は正直なんですよね。心と体は正直です。

 

追い詰められて、はじめて、何かが見えてくるってあると思いますよ。

(案外、人間ってやりたいこと、やりますからね。体が勝手に。結局そうなんです。自分に合わないことも勝手にドロップアウトしますから。)

 

まぁ、モチベーションに関しては自分でしかわからない領域です。

ここは、とことん自分と向き合って、考える価値があると思います。

 

さて、今度は能力について、です。

能力については、自分の強みを活かすことが大事だと思います。

強みというのは、生まれ持った先天的なものに加えて、後天的なもの、具体的には学習して得たもの・教育を受けてきたもの・経験として蓄積したもの、知識、技術といったものの総体です。

 

さて。強みというのは、何を基準にして判断すればいいのでしょうか。

「稼げる」を基準にして強みを判断するのはもしかすると早計かもしれません。というのは、世の中には「構造的」に儲かりやすい領域が存在していて、そこに陣取るだけでも稼ぎが得られやすい・・・・なんてことが起こるからです。

わかりやすいのが、昔の資格業、それから規制業種(例えばメディア、インフラ系など)、公務員など、です。言うまでもないですが、こういう領域は権力の力によって参入障壁が存在します。

いわゆる既得権益です。

試験であったり、当局との付き合い等々により、関門をパスして中に入ってしまえば、プレーヤーの本来的な能力以上に稼げてしまう世界・・・などが世の中には存在するのです。

 

まぁ、何を持って能力というのかわかりませんけどね。

遠く離れたゴミ箱にコカコーラのペットボトルを投げ入れるのは能力と呼べない、というのが一般的な考え方でしょうが、youtuber産業の登場によってそのスキルは換金可能性が出てきてしまった。だから、能力と呼べるのかもしれない。

 

とりあえず、一般的に、規制業種の中での能力開発は危険性が高い、潰しが効かないと言われています。

時代が変化し、新たなテクノロジーが生まれたり、政治の方針が変わったりして、いざ障壁が崩れてしまうと激しい競争がスタートしてしまいます。あるいは転職した際は激しい競争の世界に飛び込まなければなりません。

 

日本の産業は、規制や公共事業によって守られた世界と、グローバル競争に否応無しに巻き込まれた世界で二極化していると言われています。

前者は、ゆったりと高給を稼げていたりするものですが、いざ、規制が撤廃されたりグローバル化の波に飲み込まれたりするとひとたまりもありません。

 

1990年代後半からは金融と通信の規制緩和が進み、その業界の給料は削減されていきました。

小泉政権における公共事業改革により、ゼネコン業界も競争社会になりました。

現在も続く強い規制はマスメディア系ですが、ネットメディアの台頭によって規制が徐々に無意味化し始めています。

資格業が担当していた領域はテクノロジーの進展によって、低コスト化が進んでいますね。

 

ということで、強みや能力とは無関係に、陣取るだけでそこそこ金が稼げてしまう世界もありますよ、ということです。

そして、産業の構造的な利権に依拠した強みは、政治情勢が変わると結構簡単に崩れさりますよ、ってことです。

 

この世界に行けば稼げるだろう、ここで働ければ稼げるだろう、という発想で職を得ると、確かにしばらくは甘い蜜が吸えるかもしれません。しかし、産業構造を取り巻く事情が変わると、話は別になってくるわけです。

スポーツ選手、ブロガー、youtuber、文筆家、漫画家、世界レベルで評価される研究者、技術者、プログラマーなどのように、もろに市場での競争にさらされ、市場からの評価に命運を委ねているような世界で勝ち残っている人こそ、本当の意味で力がある人材です。

 

なので、自分の強みや能力というのは、市井における一対一の対人関係で評価されるものを基準にした方が良いかもしれません。

市場でダイレクトに換金できるような能力を基準にした方が良いかもしれません。

 

産業自体の分析・理解と、自分自身に根付く能力は分けて理解しないといけないのです。

 

なんだかんだ言って、一番強いのはストリートで人を集め、お金を何かと交換できるような「野生の稼ぎ方」だったりします。

起業家、商売人の類がたくましい・強いのはワケがある。

 

  • 過度に規制、公権力によって守られている
  • 市場でダイレクトに評価される世界ではない
  • 技術革新によってその仕事や産業の価値が陳腐化する
  • 産業が丸ごと沈没する可能性がある

こういう領域はある程度、黄色信号と言えます。そこにいること自体もそうだし、その中で評価された「強み・能力・スキル」というのは甚だ疑問符がつくところです。

特に、これからの若者が職を選ぶにあたっては注意が必要です。

例えば、私が就活生だったら、今からメディア業界、例えばテレビなどに就職しようなんて思いません。入っても、上の世代に搾取され続け、また、自分が上の世代になる頃にはそれほど実入りは見込めず、市場価値が見込めるポータブルスキルが身につかず、場合によってはいい年齢になってから組織外に押し出される危険性があります。

旨味の源泉である「規制」の賞味期限が切れかけているからです。

もちろん、何らかの「踏み台意識」があるのなら話は別です。「次の構想」があって、そのために踏み台にするのなら全く持って話は変わります。

 

権力の匂いがするところが危ない、というのはこれからの基本発想だと思います。特に国家権力絡みの世界ですね。

そういう世界を「上品」とか「高貴」とするのならば、少々「下品」な商売人根性をむき出しにしながらも、当局の規制・関与とは無縁の世界で、激しく自由競争している世界こそ、本当の意味で力がつくのかもしれません。

 

私も昔から、あまりエリート的な勝ち組の話は興味がありません。

いつも考えているのは、全くのゼロからどうやって立ち上がるのか?です。

そして、年齢があまり関係ない世界です。

この2点を抑えないと、いつまでたっても不安は取り除けない、というのが私の結論です。

ものすごいどん底の中、失意の中から逆転した人の話だったり、ユダヤ人のようなサバイバルプレーヤーの話にばかり注目してきました。

もちろんエリートコースを歩んでいっても、産業の未来などを上手に読みながら、上手に自分をリポジショニングし続けていって、生涯賃金を増やし続ける、ポータブルなスキルを磨き続けるという生き方だってあるとは思いますけどね。

 

ここまでの話を、視点を改めて整理すると、

  1. 職種
  2. 業界

という視座で換言できます。この2軸を意識するということですね。

どこでどういう働き方をするにしても、「〜業界は稼げる」という発想は、個人的には危ないと感じます。

確かに世の中には、「〜業界は稼げる」「〜業界は稼ぎやすい」みたいなことってあるのですが、業界依存はいつの時代もどんなコンテクストでも不幸を呼ぶと感じますね。

しかも、儲かるとされている業界に行ってボロ負けしても意味無いですからね。

 

就活生にとって華型扱いされている業界で「だいたい●●●万円ぐらい稼げそうだな」という目算があったとして、誰も見向きもしない業界で「この業界は●●●万円ぐらいしか稼げている人がいないな」っていう情報を仕入れることができたとしても、自分がその通りになるかはまた別の話です。

華型業界でボロ負け、底辺、すぐドロップアウトするかもしれないし、誰も見向きもしない業界で華が咲くかもしれないのですからね。

飲食業界一つとっても、勝ち負けの差が激しいでしょう。

 

ちなみに、私は職種・職能しか意識してません。

若い頃からそうです。

業界や産業構造というのは、そこにおいてどのようなビジネスモデルが実現可能であるか、現状のビジネスモデルはどうなっているのか、というのがわかるだけです。

利用しているテクノロジー、コスト構造、商材などを理解するために「業界」とか「産業」は見るべきです。そして、その中でどういった「職能」があるか、ですね。

 

あとは、人です。

そこでどんな人がいるのかっていうこと。

人と波長が合わないと、やっぱりどこ行っても辛いでしょう。

 

業界慣習、慣行、社風、すでにそのマーケットにいる人間たち、関係各所、利害関係、パワーバランス、こういうのを踏まえた上で、自分がどこに入れるかを理解する。これも業界とか産業分析の大きな軸と思います。

個人的にはそう思います。

 

学生時代から、人間は同じような人と群れたがるものですが、大人になっても一定の傾向というのはあります。

そして、それがそのまま、職域の区分として引き継がれていたりする。

 

 

そして、ハッキリ言いますがどこの業界も厄介なのは、権力者・老害・重鎮・大御所・先輩の類です。

(で、当然ですがキーマンや有力者みたいな人もいます。)

 

新興産業のちょうど良い節目で参入したから、ゲイツやジョブズみたいな「ネジ外れ系」の人たちはやっていけたのです。

古びた世界だと、権力者・老害・重鎮・大御所・先輩たちにうまく取り入るのか、ニッチに巣食うのか、業界イノベーションで瞬殺するのか、といったような判断をよくよく考えないといけません。

政治的センスが求められます。

そしてこの判断に失敗すると地雷を踏みます。笑

 

さて。

職種・職能に対して、どういう値付けでオファーしてくるのかは業界により違いがあります。また、その時々の業界の盛り上がり具合や将来性によっても変わります。

要するに凋落があるのです。栄枯盛衰あるし、ブレるのです。

しかし、自分にしっかりと根付いた、それなりの職能があれば、まぁ、食うには困らないでしょう。

 

やはり、職種、職能、経験が大事で、かつ、業界に依存したやり方は結構危険かもよ、というお話ですね。

自分がどんな職種を担当するのか、どんな職能を持つのか、というのが結局のところ、自分を支えてくれるのかもしれません。

 

キャリア本なんかでは、職種も業界も変えてしまう「完全なるキャリアチェンジ」は、20代までに行うように奨励されているのをあちこちで目にします。

そして、業界を変えるのは簡単ですが、職種・職能はそう簡単に変えられません。

 

基本的には能力というのは職種に基づきます。

 

組織に入る際に厄介なのは、新卒での採用はごそっと総合職とかで採るのに、希望した部署に行けない・希望した職種を担当できないという危険があります。そのくせ、中途採用となると職種・職能で品定めされます。

さらにさらに。

世の中にはいろんな会社がありますが、その会社がしっかりと根を張っている強い企業であればあるほど、独自の社風・カルチャー、システム、ケイパビリティを持っていることが多い。組織人としてその企業固有のやり方に埋没すればするほど、外の世界に持ち運びできるスキルが身につかないという問題もあります。

社内向けスキルばかりが鍛え上げられてしまうというやつです。

 

難しいですねぇ。

大変です、こういうことを色々考えるとね。

 

まぁ、ここまでツラツラと語ってきましたが、

こーゆー常識的なことをよく知っておいた上でいかにセンス良く社会に反発するか

について知恵を絞るのは、まさに中二病的発想と言えますが、私はそれを真剣にやっています。笑

 

人が一生のうちで本気で好きになれる、惚れ込める人なんて限られているでしょう。

きっと、これは仕事についても同じでは無いでしょうか。

そして、面白い仕事ができている人なんてごく一部じゃないでしょうか。

 

人生時間の多くを捧げてもいいぜ、って思えるようなダイナミックで魅力的な仕事に就ける人は、手を叩いて喜ぶべきですし、がむしゃらに邁進しても良いと思います。

私のように、ハナからやる気がない人間、仕事を毛嫌いしている人間は、「どんぐりの背比べ」的なキャリアに情熱を注ぐのをやめて、真剣に働き方改革をすると面白いかもしれません。

ニートをこじらせる感じ?

 

ま、私の場合、そもそも仕事とかビジネスとかキャリアに興味ないタイプなので(情熱薄いタイプだったので。興味と情熱があったらちゃんと勉強してたエリートコースを志望してたでしょうからね)、根っからアウトなんだと思います。

 

やる気がないというか、働きたくないがために、嫌なことをやりたくないために、仕方なーく勉強したり、努力したり、挑戦したりっていうことを一気呵成的にしましたけど、元々はやる気ないですからね。

マジで。

 

小学校1年生の時から、学校のお勉強は「親金持ちの奴が勝つゲーム」「社会階級の再生産の仕組み」ってなんとなくわかっていたし(家が貧乏で小学生の頃から新聞配達し、睡眠不足で授業中寝ちゃうような、学力的にも内心的にもディスアドバンテージの子どもと、テストで100点取ったらお小遣いをあげるような家庭の子どもの勝負はハナから決まってます)

スポーツは才能がいるって知ってたし。

 

あれこれ探って、その結果、唯一、「この不平等だらけの世界で若干フェア寄りな世界」って言えるのが商売って思ったし、「ネットは尚更そう」って思いました。

 

一つわかっておくと良いのは、普通に考えれば、普通の人はどこかで必ず敗退するということです。

人生は負け前提、という感じでしょうか。

 

小学生ぐらいの時点で、学級1、学年1の成績を残すことなど簡単なことです。

これが、中学、高校、大学・・・・とスケールがでかくなるにつれて、自分が勝てる世界などどこにも無くなっていくことがわかると思います。

トーナメントを勝ち進んで行けば、負ける確率はどんどん上がるのです。

スポーツも同じで、地区予選で勝っている分には良いでしょうが、全国、世界となるととてもじゃないですが勝てませんね。

 

人生、必ず負ける。

 

ほぼ全ての人はどこかで必ず負けるのです。

当たり前ですね。

だからもう、部活動や武道のノリで修業するか、上手に勝ち逃げするかだと私は思うわけですね。

 

 

個人的に、1%の哲学って呼んでいるのですが(西園寺の商標登録です、ま、嘘ですけど)、基本的に、自分という人間の人生を考えてみた時、その構成要素というか原材料について、99%は負けていると思うわけですよ。つまり、大半は負け成分でできているわけです。人生そんなものだと思うわけです。

だから、どの1%で勝つかを真剣に考えるわけです。

逆に言えば、ものすごい総力をひねり出しても、「勝ち」を得られるものはごくごくわずか・・・・ってのが人生だと思います。

 

なのでまぁ、上手に金策を・・・・というか、上手にお金を稼ぐ力を身につけたら良いんじゃないですかね。

楽しい働き方・生き方を見つけて、あとは・・・・・・幸福を追ったら良いんじゃないですか。

幸い、今の世の中って、遊び金が多く出回ってます。お金周りが悪い人はわかんないでしょうけど、世の中の人たち、遊びにガンガンお金使ってますから。世の中の「普通の人たち」って結構、お金持ちですよ。

また、必需品のコストはどんどん下がっていくでしょう。

 

こんな世の中で、商売のタネを思いつくのはそれほど難しくありません。

 

 

ライフスタイルという次元で「これがこうなったら満足だな」というものを描いておくことは重要でしょう。

何が欲しいのかを自覚しておくこと。

個人的には、キャリアで成功している人間を追いかけ回すだけではなくて、「人生楽しそうにしている人」を探すのも大事だと思っています。特に、この不幸大国で楽しそうにしている人、イキイキとしている人を見つけるのは難しいです。

 

私は、幸せそうな人を見つけると、「どうやって生きているのか?」と、とても気になってしまいます。

 

だからまぁ、外国人と話すことが多いんですけどね。

 

とりあえず、国内でも国外でも、

  1. 幸せそうな人
  2. 面白い人
  3. どうやって生きているのか不思議になる人
  4. 人柄が魅力的でたまらない人

っているんで、そういう人と接点を持つと、本当に人生観揺さぶられますね。

場合によっては自分のキャリア自体が大きく変わってしまうかもしれない。

 

そういう出会いってあります。

それを人との接点の中に見出せないのなら、あちこちを放浪してみるも良いし、面白そうな仕事を探してみるも良いし。キャリアサクセスに情熱を注いでみても面白いと思います。

 

最後に。

個人的に、人が人生に大きく変化をもたらす方法は、

  • 居住環境を変える
  • 付き合う人を変える
  • 資源配分(金、時間)を変える

の3つしかないと思います。大前さんの言説ですけど、共感します。

決意を新たにするとか、気持ちを新たにするとか、そーゆーのは全く無意味で、むしろ身の丈に合わない別世界を中途半端に見てしまうと、不幸が増すと思います。

この3つを変えないでちまちまやってても無駄、というのが持論です。

 

それと、技術やマインドセット、考え方、感情、判断基準・・・こういうものはなかなか考えられません。

人は行動や技術といった、比較的表層的なことばかり見ます。

でも、マインドセットや考え方と矛盾するような技術、行動とか習得・実践できないですからね。

結局、根っこの部分を考えないと。

 

私はアメリカ人の書いた自己啓発とか、イタリア人のライフスタイル、表には出てこないが変な生き方を実現している人(足で稼ぐ情報ですね)・・・・などに影響を受けています。

そして、何より、社会不適合な自分自身の発想・・・・がベース。

根っこの部分から人と違うと思います。

 

私の人生観の土台は、「普通への疑問」「普通とのミスマッチ」「平凡への嫌気」「労働や仕事への疑問」「社会への疑問」といったところにあります。

 

まぁまぁ、近年はやたらと「普通以外の生き方・働き方」とかがクローズアップされるようになりましたが、もともと、社会には変わった生き方をしている人、マジョリティに馴染めないでいる人ってのは一定数いたはずです。

昔から、上手な生き方をして飯を食べている人というのはいるのです。

わざわざネットや本を見るまでもなく、世の中を見渡せばそういう人っています。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。